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ネイティブスピーカーも知らない!英語のヒ・ミ・ツ

ネイティブスピーカーも知らない!英語のヒ・ミ・ツ

will vs be going to

以前にも書きましたが、英語には、実は「現在形」と「過去形」しかありません。ラテン語系のスペイン語などにはちゃんと動詞の「未来形」という活用もあるのですが、英語には――覚える労力が省けて実に有り難いことに――動詞の活用は原形と過去形しかないのです(厳密には過去分詞と現在分詞というのもありますが)。「未来形」というのはありません。
でも、その代わり「未来を表す表現」というのがあります。それらは論理的に言って、未来のことについて話ができるようになっています。大きく分けて
(1) willを使う。  willは「さあ、やるぞ」という意志と、それから「~するだろう」という推測を表すので、それで未来のことを言うことができます。
(2) be going to~を使う。   これは広い意味での「進行形」と言ってもいいくらいなのですが、とにかく、すでに決まっている予定について「客観的に」言うときの表現です。
(3) 普通の現在形を使う。   電車の時刻や、映画の始まる時間など、すでにスケジュールが決まっているものであれば、未来でも普通に現在形で表せます。
(4) 現在進行形を用いる 
このうち(4)については以前に扱いました。

たいがいの人にとって混乱の元になるのが、(1)と(2)の使い分けですね。この項目ではそれを中心的に扱います。

「主観的」な助動詞のwill  

willは「助動詞」と呼ばれるものですが、英語の助動詞の一番の特徴は
「話し手の『主観』を示す」
ということなのです。つまり話し手自身の判断なのです。
I will / We will ~などと、主語が話し手自身である場合、その「主観」は「(自分の)意志」となります。
「私(たち)は~やろう!やるつもりだ!」
というわけです。

I’ll go there. 私はそこに行くよ。

主語が話し手自身ではないという場合は、「主観」は「(相手または第三者についての)推測」となります。
「○○は~するだろう」
ということです。主語が I/We でも推測の意味である場合もあります(文脈で判断)。

He’ll go there. 彼はそこに行くだろう。
I’ll go there.  私はそこに行くだろう。

客観的なbe going to~  

主観的なwillに対し、be going to~は「客観的」です。話し手の判断は重要ではありません。「そうする(なる)ことになっている」という意味です。
これは広い意味では進行形だ、とも言えます。何かをするということに「向かって進んでいる」ということです。
だから主語がなんであれ、be going to を使った場合は、客観的に(つまり誰が見ても同じに)ものごとが予定されているということなのです。Iが主語であっても、意志は重要ではありません。

I’m going to go there. 私はそこに行くことになっている。

そこで、たとえば
「あの公園で桜が咲いているよ」
とだれかに言われ、その反応として
「あ、そうなの? それなら、行こう!」と言う場合は
I’ll go there.
となりますが、
「うん、知ってる。これから行くことになってるんだ」
なら
I’m going to go there.
ですね。自分の意志で決めたことであっても、ひとたび決めてしまえばそれは「客観的な予定」となるのです。

天気予報などではbe going to を使います。
It is going to rain tomorrow.  あしたは雨になります。
予測ではあっても、客観的なデータに基づいたもので、100%当たるわけではないにしても成り行きはほぼ「予定」されているからです。
ですが素人の私たちが空を見上げて(または靴を投げて?)、明日はきっと雨だな、などと判断する場合は主観的な推測ですから
It will rain tomorrow.  あしたは雨が降るだろうな。
となります。


その逆手を取り、推測ではあっても、強い期待を込める場合はbe going to を使ったりします。「~することになっている(はずだ)!」という気持ちを込めるのですね。
We are going to have fun! 私たちはきっと楽しく過ごせるわ。(=楽しく過ごすことになっている、はずだ!)

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